今でこそ多くのラグジュアリーブランドが「community」「hype」「drop culture」を語るようになったが、 ルイ・ヴィトンはかなり早い段階から、Hip-HopとStreetwearを通じてブランドの空気を変え始めていた。
その転換点はVirgil Ablohでも、Pharrellでもない。
始まりは、2009年のKanye Westとのコラボレーションだった。
当時のラグジュアリーファッションにとって、Streetwearはまだ“外側のカルチャー”だった。 影響力は無視できなくても、パリのメゾンと同列に語られる存在ではなかった。
そんな中で、Kanye Westはルイ・ヴィトンと共にスニーカー capsule collection を発表する。
ラインナップは「Don」「Jasper」「Mr. Hudson」の3モデル。 特に“Jasper”は、上質なスエード、オーバーストラップ、キルティング仕様のヒール、ゴールドパーツなど、 スニーカーでありながらルイ・ヴィトンのレザーグッズを思わせる仕上がりだった。
しかもモデル名はデザイナー名ではなく、Kanyeの周囲の人物から取られていた。 この時点で、従来のラグジュアリーの文脈とは完全に違っていた。
このコラボが重要だったのは、単にスニーカーを作ったからではない。
ルイ・ヴィトンが初めて、 「Hip-Hopは外部カルチャーではなく、ファッションそのものになりつつある」 という現実を受け入れたことに意味があった。
後にVirgil Ablohがメンズ部門を刷新し、 Pharrellがその流れをさらに拡大させることになるが、 その土台を最初に作ったのはKanye Westだったとも言える。
しかも、この時点ですでに現在のStreetwear的なビジネス構造が見えていた。
現在では当たり前になった手法を、 ルイ・ヴィトンはこの時期から少しずつ学び始めていた。
そして2017年。 ルイ・ヴィトンは、Streetwear史に残るコラボレーションを発表する。
Supreme × ルイ・ヴィトン。
このプロジェクトが特別だったのは、 単なる話題性ではなく、「Luxury」と「Streetwear」の境界線そのものを崩したことにある。
しかも背景には有名なエピソードがある。
2000年代初頭、Supremeはルイ・ヴィトン風デザインのスケートデッキを制作し、 ルイ・ヴィトン側から cease-and-desist を受けていたと言われている。
それが17年後には、パリのランウェイで正式コラボとして発表された。 このストーリー自体が、ファッション業界の変化を象徴していた。
中でも象徴的だったのが、赤いMonogram trunk。
伝統的なトランク製作技術に、 Supremeのロゴを大胆に重ねたデザインは、 最初は“違和感”すら感じさせた。
しかし、その違和感こそが時代だった。
コレクションには、 Keepall、レザージャケット、デニム、スカーフ、グローブ、スケートデッキなども含まれ、 世界各地のpop-upでは長蛇の列が生まれた。
このコラボで最も重要だったのは、商品よりも“販売方法”だった。
ルイ・ヴィトンはここで、 Streetwearが築いてきた「drop culture」を本格的に取り入れる。
それまでラグジュアリーの価値は、 歴史や職人技によって成立していた。
しかしSupremeは、 「手に入りにくいこと」自体をカルチャーに変えた。
ルイ・ヴィトンは、その影響力を理解した。
そして現在、多くのラグジュアリーブランドが採用している capsule release、限定drop、artist collaboration、SNS先行戦略は、 この流れの延長線上にある。
結局、ルイ・ヴィトンがStreetwearから学んだのは服ではない。
現代における「熱狂の作り方」だった。
Kanye Westは、Hip-Hopをラグジュアリーの内部へ持ち込み、 Supremeは、Luxuryにinternet speedのマーケティングを教えた。
その後、Virgil Ablohがそれを完全なクリエイティブへ昇華し、 Pharrellの時代へ繋がっていく。
でも、その流れは突然始まったわけではない。 ルイ・ヴィトンはかなり前から、Streetwearの言語を学び始めていた。